メルマガ「ゆかねぇからの手紙」登録はこちら

言葉は時に刃となり、時に光となる。インターネットの海に言葉を放つということ

こんにちは、ギャラップ認定ストレングスコーチの ゆかねぇ (@officeyuka) です。

話すとき、書くとき、考えるとき。

私たちは言葉を使わずに生きていくことはできません。だから言葉を使うことは息をするように当たり前と感じてしまうのは当然といえば当然の話。

でも。

普段何気なく使っている言葉も、時には誰かを傷つける刃(やいば)となり、誰かを救う光にもなると私は思っています。

言葉に傷ついたこと、言葉に救われたこと

私は子供の頃から「言葉そのもの」が好きでした。

私にたくさんの言葉を教えてくれた祖父が、わからない言葉を聞くたびに「字引(辞書)を引きなさい」と言ってくれたおかげかもしれません。

小学校に入る前から国語辞典や漢和辞典を自分で引き、新しい言葉やその意味を知ることが大好きでした。

大きくなった今でも、文章を書いたり考えたりするときには「もっと良い言葉はないか」「もっと良い表現はないか」と言葉を探すのが自分にとっては当然のことでもあり、とても楽しい時間です。

このように言葉それ自体が好きな私は、言葉に関して人よりは敏感なのかもしれません。

だから言葉によって傷ついたことが幾度もあります。

相手はきっと悪意なく言葉を発しているし、もしかしたら何も考えてないかもしれないけれど、私の胸にぐっさりと突き刺さって抜けなかったり。

もはや私に向けられていない、赤の他人やその他大勢に向かって放たれた一言に心を痛め、そっとその言葉から目を逸らしたり。

錯綜する「情報」という言葉に翻弄され、心身ともに崩壊したことさえあります。

でもそれと同じぐらい、言葉によって救われたこともあります。もしかしたら傷ついた経験よりはるかに多いかもしれません。

たった一言のコメント、一行のメール、電話を切る間際の一言。

見ず知らずの方が書いたブログに励まされ、涙したことも一度や二度ではありません。

私にとっての言葉は、それぐらい大きな力があるものなのです。

インターネットの海に言葉を放つということ

今の時代は、インターネットを通じて誰もが簡単に言葉を発信できる時代になりました。

それはとても良いことだと思うし、もっと多くの人がいろんなことを発信していけばいいと思っています。

でも一度インターネットの海に言葉を放ってしまったら、どこの誰が読むかわからないものになります。

それは考えようによっては怖いことかもしれません。思わぬところで誹謗中傷の的になったり、いわゆる「炎上」してしまう可能性もゼロではないからです。

反対に、自分の放った言葉が誰かを深く傷つけてしまうこともあるでしょう。

だけどもしかしたら、見も知らぬ誰かを救うかもしれないのです。

自分の思い、自分の考え、自分の経験。

それは一見すると独りよがりの偏ったものかもしれません。「こんなの誰が読むんだろう」と思うかもしれません。

でもその言葉を必要としている人がこの世にはいて、その人にとっては命を救う言葉になる可能性だってあるのです。

このことを重たく考えてほしいわけではありません。

あなたの言葉を待っている人が、必ずいるんです。

だからその思いを、その考えを、その経験を、もっと放ってほしいのです。

「自分のブログはほとんど読まれていないから」「SNSのフォロワーも少ないから」というのはあまり関係がありません。むしろ少ないからこそ自由に書けることだってあるはずです。

「こんなこと書いたって誰も読まないよ」と思うかもしれませんが、読むかどうかを決めるのは相手であって自分ではありません。

どんな小さなことでもそこに「思い」があれば、届く相手は必ずいます。

それはまるで運命の糸のように。

インターネット上で言葉を使うことには責任が伴うと私は思っていますし、そのことは忘れてはいけないとも思います。

だけどその責任の重さの向こうには、待っている人たちがいる。

その言葉を、その思いを、待っている人たちがいる。

その人たちのために言葉を紡ぐ責任があると私は思うのです。

最後に

言葉が持つ力はとても大きいです。

だからこそ言葉を使う発信には責任があり、同じぐらいやりがいがあります。

言葉は時に誰かを傷つける刃となり、時に誰かを救う光になる。

このことを常に心に留めながら、これからもブログを書いていきたいと思います。