こんにちは、社会保険労務士・ギャラップ認定ストレングスコーチの ゆかねぇ (@officeyuka) です。
始めた当初はやる気もみなぎり、毎日こなせていた習慣。
でもいろんな事情があって続けられなくなることは当然あります。
そんなときに「ああ、やっぱり自分はダメなんだ」と簡単に自分を責めるのではなく、途切れた習慣から何か一つでも学ぶことが大切だと私は考えています。
すべての習慣を続けられるわけではない
いきなりやる気をへし折るわけではないのですが、人というのはいくら気持ちで「やろう」と思っていても実際にできないことが多いものです。
習慣というのはその最たるものかもしれません。
なぜなら習慣になるまで時間がかかるし、毎日や毎週といったスパンで同じことを繰り返すのは決して楽ではないからです。
だから「習慣が続けられなくても仕方がない」というわけではなく、習慣として継続できるに越したことはありません。
ただ、やれるだけのことをやったとしてもさまざまな理由によって習慣が途切れてしまうことはあります。
そんなときに、続けられなかった自分を責めるだけで何も学ばないというのは、あまりにももったいない。
すべての習慣を続けられるわけではないからこそ、「なぜ続けられなかったのか」「次はどうすれば続けられるようになるのか」を考え、役立てることが大切なのです。
途切れた習慣から考えるべきこと
一生懸命やってはみたけど途切れてしまった習慣。
そこからいったいどんなことを考え、学べばいいのでしょうか。
無理のある習慣ではなかったか
まず最初に考えてみる必要があるのは、途切れた習慣が無理のある習慣ではなかったかということです。
いくら目標を達成するために続けなければならない、続けたい習慣であっても、1日は24時間しかありません。
仮に3時間もその習慣に費やしていたのなら、当然仕事や生活を圧迫していたはずです。
ましてやそのために睡眠を削るなどの対応をしていたとすれば、身体に無理をさせていたわけですから、遅かれ早かれその習慣は途切れてしまっていたでしょう。
習慣を身につけるのにある程度の負荷は必要とはいえ、時間や身体の面で明らかな無理を強いる習慣は長続きしません。
習慣が途切れた理由が「そもそも無理のある計画だった」とわかれば、改めて自分が使える時間や生活を見直し、習慣を継続するための体制を整えることができるはずです。
必要な習慣だったのか
次に考えてみたいのが、途切れた習慣は本当に必要な習慣だったのかということです。
どうしても必要な習慣だったのなら、他の何よりも最優先して時間を確保し、取り組み続けたはずです。
でもそうではなかった、だから途切れてしまった。
ということは、その習慣を身につけなければならないほど切羽詰まった状況ではなかったのかもしれません。
この場合はまず最初に「なぜその習慣を身につける必要があるのか」を明確にすることで、習慣として取り組むべきか否かの判断ができるようになるでしょう。
もっと良いやり方がなかったか
最後に考えたいのは、途切れた習慣にはもっと良いやり方はなかったかということです。
習慣を継続し、身につけたいと行動するのは、その先にある目標や目的を達成するためのはずです。
それならば、目指すべき目標を達成できる別のやり方があるのならそちらをやればいいだけの話。
何かを達成しようとするときはただ続けるだけが良い方法ではありません。ましてや同じことを繰り返していては、また次回も習慣が途切れてしまいかねません。
やれるだけのことはやったけど習慣が途切れてしまったのなら、「別のやり方を試すチャンス」ぐらい前向きに捉え、すぐに行動を起こしていくことが大切です。
習慣はトライアンドエラー
習慣に限った話ではありませんが、身につけるために時間がかかることというのは常にトライアンドエラーの意識を持っておく必要があると私は思っています。
なぜなら冒頭でもお伝えしたとおり、気力でなんとかなることは実はそんなにないからです。
気力でなんともならないなら、続ける仕組み、身につけるための仕組みを作り上げていかなければならないし、その仕組みを作るには試行錯誤が必要不可欠です。
だからこそ習慣が1回途切れたぐらいで投げ出さず、そこから「じゃあどうすればいいか」を考え、何度でもやってみることが大切。
それができればむしろ途切れたことがプラスとなります。
習慣が途切れることも決して無駄にはならないのです。
最後に
「転んでもただでは起きない」という言葉があります。
どんなときもその意識があれば、マイナスをプラスに変えることができるはず。
習慣が途切れたときこそチャンス。
そんな気持ちで前向きに習慣と向き合っていただければと思います。