夏の思い出〜そう、あの頃の私たちは誰よりも輝いていた〜

こんにちは、 渡邊 由佳 ( @officeyuka )  です。

汗と涙と甘酸っぱさ。そして、ほんの少しの切なさと。

「夏」という季節には、誰もが何かしらの思い出があるのではないでしょうか。

私にも、夏が来るたびに必ずよみがえる思い出があります。

吹奏楽に明け暮れた中学・高校時代

私は、中学・高校の6年間ゴリゴリ(笑)の 吹奏楽部 でした。

中学校は京都府内では有名な古豪、高校に至ってはマーチングで全国大会常連校(すっかりテレビでお馴染みになったあの「オレンジの悪魔」と呼ばれる高校です)。

要するに夏休みは格好の練習どき。休みなんてほとんどありませんでした。

来る日も来る日も部活に行き、同じメンバーと顔を合わせ、練習、練習、また練習。

なぜあんなに頑張れたのか、今となっては不思議なぐらいです。

 

しかも、高校のときは1年生の時点でドラムメジャーに選出。

本来のドラムメジャーは、行進などの際先頭に立って指揮をする次のようなポジションです。

こんな画像ですみません…。

ただ、高校のときは「マーチングの指導役」「部長が決まるまで学年をまとめる役」というなかなかハードな役回りも担ってました。

これが、後々の思い出につながっていきます。

吹奏楽部なのに甲子園のマウンドへ⁉︎

吹奏楽に明け暮れた6年間に思い出はいくらでもあるのですが、こと「夏」に関していうと、真っ先に、そしてもっとも強く思い出す出来事があります。

夏の高校野球第75回記念大会開会式の前座オファー

その出来事があったのは私が高校2年生のとき。

ちょうど、夏の全国高校野球大会 が 第75回の記念大会 という年でした。

そして、記念大会ということだからでしょうか。

開会式を盛り上げる一環(?)として、「開会式の前にグラウンドでマーチングを披露してほしい」というオファーが私の高校に届いたのです!

いやもう、めっちゃ嬉しかったですよ。

だって私、小学生の頃の夏休みはずっと高校野球見ながらスコアブックつけてましたから(笑)。

「え⁉︎あの甲子園のグラウンドに立てんの⁉︎しかもテレビ映るんちゃうん⁉︎出たい、めっちゃ出たい!」

とまぁ、最初は部内の事情も考えずに内心バンザイしまくってました。

夏のコンクールとの兼ね合い

私自身は呑気なことを考えていたのですが、吹奏楽部にとって夏は吹奏楽コンクールの地区予選がある大切な時期。

いくらマーチングが強いからと言っても、コンクールは吹奏楽部の年中行事の中でダントツに重要です。さすがに甲子園への練習と同時並行は無理がありました。

さらに、コンクールは舞台に上がれる人数が決まっていて(当時50人)、「部内で選抜→上手な人からコンクールメンバーに選出」という流れは当然でした。

ここで、私が3年生だったらコンクールに出ていたかもしれません。

でも私は当時2年生。部員総数120人だった当時、楽器のバランス的にもコンクールに出ることは叶いませんでした。

ちなみに、楽器は ファゴット という超マイナーな楽器でした…。

ここで、 「それやったら甲子園の方に出れるやん、良かったやん」とお考えになった読者のみなさま、さすがです。

そのとおり。私自身は甲子園でのマーチングに、しかもドラムメジャーとして参加することになりました。

でも、3年生を始め部内の主要メンバーは軒並みコンクール組です。

ということは…。

甲子園でのマーチングは、1,2年生主体で取り組まなければならなくなったのです。

1,2年生主体で猛練習

私の高校の吹奏楽部は、「吹奏楽自体を未経験」という入部者は当時ほとんどいませんでした。

とはいえ、中学校とはレベルも違いますし、「マーチングは未経験」という子はかなりいました。

ましてや1年生は入部してまだ3ヶ月程度。そんなメンバーを引っ張って甲子園という大舞台に乗り込まなければならないわけです。

もうね、必死でした。

先生がつかない通常の練習のときは私が先頭でやらなければならなかったので、どれほど過酷な練習をしたことか。

当時の1年生には(そして同級生にも)今となっては申し訳ない気持ちばかりですが、そのときは正直そんな余裕はなかったです。

ただひたすら「下手な演技をして学校のメンツを潰すわけにはいかない」という思いと「3年生には絶対負けたくない」という思いしかありませんでした。

「アンタが先頭に立って、残りのメンバーやったらそんなレベルやわな」なんて絶対に言わせたくなかったんですよね…。

ほんと、昔から上には噛みつくタイプで困ります(苦笑)

開会式当日、果たして…?

毎日毎日、グラウンドで真っ黒になるまで練習し続け、いよいよ開会式当日。

「さすがにテレビ映るやろ(笑)」とテレビの録画予約をし、早朝から甲子園へ。

本番前後で覚えているのは、リハーサルの時間がほとんどなくて本番一発勝負だったことと、私の立ち位置がまさかのピッチャーマウンドだったことぐらいです。

だから私、甲子園のピッチャープレートを踏んでるんです!これは一生の思い出!

本番自体はあっという間でした。正直なところ、無我夢中すぎて何も覚えていません。

でも、たった数分の本番に向けて、時には泣きながら、時にはケンカしながら、みんなで必死に頑張ったことは、夏が来るたびに今でも思い出します。

え?テレビですか?提供のテロップの後ろで一瞬流れただけでした。しかも無音(号泣)。

青春という名の宝石箱

高校時代の部活のことは、今でもしょっちゅう夢に見ます(しかもたいてい辛い夢)。

あのときは何もかもが必死だったけど、人生で掛け値なしに必死になれる時期ってそんなにないと思うんですよね。

必死だったからこそ、今こうやって懐かしく思い出せるわけで。

青春時代の思い出は、どれもこれも大切な宝物。

これからも、青春という名の宝石箱にそっとしまっておいて、時々思い出すつもりです。