本音の扱いは難しい。
よかれと思って口にすれば人を傷つけ、腹のうちに収めておけば「あいつは何を考えているかわからない」と言われる。
気づかないふりをしていれば、いつしか自分が何をしたいのか、何者なのかさえわからなくなってくる。
そんな本音を私はどうしたいのか、考えてみた。
バービーの「本音の置き場所」を読む
本音について考えるきっかけになったのは、バービーの「本音の置き場所」という本を読んだからだ。
バービーは言わずと知れた女性芸人。今ではテレビを見なくなった私でも知っているのだから、気づけば芸歴もそれなりに長くなっているのだろう。
装丁のドぎついショッピングピンクは「彼女らしい」と思ったけど、本の中身は申し訳ないがそんなに覚えていない。「いろんなこと考えてるなぁ」と思ったし、同感する面も反発する部分もあったが、それぐらいだ。
ただ、読み終えたあと妙なひっかかりが残った。
中身にではない。タイトルである「本音の置き場所」にだった。
私に、本音の置き場所はあるのだろうか。
私にとっての「本音の置き場所」
私自身、小さな頃から本音を表に出さずに生きてきた。
「我慢」が当たり前だった。だから「◯◯が欲しい」とは一言も言わない子供だったし、それが辛いとも思っていなかった。
そしていつしか「本当に大切なことは他人に言うもんじゃない」という信念ができあがっていたのだ(今思うと、だけど)。
ところが昨今の流れはそうじゃない。
本音でズバズバ切り込む人がもてはやされ、たとえ炎上したって言いたいことを言っているほうが「いいね!」となる。
私もそう思った。だから頑張って本音を表に出していこうとした。本音を語ることが「自分らしく生きること」だと思ったのだ。
たしかに他の人は「本音で生きること=自分らしく生きること」なのかもしれない。でも私はそうじゃなかった。自分の本当の本音を公衆の面前にあっさり晒すのは、拷問に近かった。
だから苦しかった。苦しいから自分を守ろうとした。結果的に本音を出そうとすればするほど、自分に嘘をつくことになってしまったのだ。
疲れ果てた私は、他人との交流を断ち、SNSを断ち、心の引きこもりに入った。表向きは快活にふるまいながら、心を貝のように閉ざしていた。
そしてやっと気づいたのだ。
本音は、出さなくてもいい。
自分の心の中に、宝物のようにしまっておいたっていい。
だって本音は、私そのものなのだ。
ということに。
最後に
実はこの「本音の置き場所」という本は、随分と前に読んでいた。
そのときは読んだだけで終わっていたし、ましてや自分の本音をどう扱ってきたのかなんてまったく気づいていなかった。
この記事を書く前ですら気づいていなかったぐらいだ。
ところが書き始めたら止まらなくなった。私自身が私の本音に対してどう思っているかがどんどん見えてきた。感謝したい。
そして最後に、伝えたいことがある。
本音を出す=自分らしく生きるでは決してない。
涙を流してまで本音をさらけださなくていい。
ただし。誰にも傷つけられないように、全力で守りぬけ。