こんにちは、社会保険労務士・ギャラップ認定ストレングスコーチの ゆかねぇ (@officeyuka) です。
昨今はすっかり断捨離がブームとなり、物だけでなく人間関係や仕事などにおいても手放すことの大切さを感じていらっしゃる方は多いのではないかと思います。
たしかに手放すことにはメリットも多く、できるかぎり心身ともに身軽になることを私も常々おすすめしています。
ただ、手放すだけが能じゃない。
手放す物も、手放し方も、一歩間違えると取り返しがつかないという事実をきちんと理解しておくことが大切です。
目次
なんでもかんでも手放せばいいってもんじゃない
私はかれこれ5年以上、自称ミニマリストとしてたくさんのものごとを手放してきました。
手放したのは物理的な物だけではなく、人間関係や仕事、生き方、考え方、もうありとあらゆるものを手放してきたと言っても決して言い過ぎではありません。
最初のうちは「生きていくために必要なものってそんなにないんだ」ということに気づき、心も身体もどんどん軽くなっていくことが嬉しくてたまりませんでした。
でもいつの頃からか、手放すことそのものに快感を覚えるようになっていたというか、ある意味中毒に近くなってしまっていたような気がするのです。
だから今思うと「なんで手放したんだろ」と思うものごとがたくさんあるんですよね。
たとえば急にSNSを退会したりとか、坊主にしたりとか(坊主、好きなんですけどw)。

そういえば iPad mini6 も2週間で手放してました。

他にも、ここでは言えないようなものごとをたくさん(たくさん)手放しています。
手放したこと自体に後悔はしていないし、手放したからこそ気づけたことがたくさんあるのも事実。
だけど病的なまでになんでもかんでも手放すというのはちょっと違うよな、と最近になってしみじみ思うのです。
やってはいけない手放し方
私がこれまでを振り返ってみて「なんで手放しちゃったのかな」と思うものごとを考えてみると、ある共通点が見つかってきました。
それはやってはいけない手放し方をしているということ。
ではいったいどんな手放し方が「やってはいけない」のでしょうか。
一時的な感情の爆発で手放す
やってはいけない手放し方として、まず一時的な感情の爆発で手放すことが挙げられます。
これはめちゃくちゃわかりやすい例で言うと「なんでそんなことするのよ!もう別れてやる!」というやつです(苦笑)。
冷静になって考えたら手放す必要はなかったかもしれないのに、完全に頭に血が上(のぼ)っていたりその場の勢いなんかで手放してしまうパターン。
しかもこういうときは本当に取り返しのつかないものを手放してしまうことが多いので要注意です。
先の見通しなしに手放す
やってはいけない手放し方の2つ目は先の見通しなしに手放すことです。
先の見通しなしに手放すとは「◯◯を手放したら新たな何かが手に入るだろう」「◯◯をやめたら何かが変わるだろう」というような手放し方のこと。
つまり「手放したら”何か”いいことがあるだろう」という、他力本願であり、ある意味スピリチュアルな考え方で手放すということです。
たしかに「手放せば手に入る」という法則自体を私も否定はしません。
ただ「手放したら(あるいはやめたら)なんとかなる」はかなり危険な考え方だと今なら思います。本当に何もかも失ってしまう可能性だってあるのですから。
起爆剤代わりに手放す
やってはいけない手放し方、最後は起爆剤代わりに手放すことです。
断捨離にしても物以外を手放すにしても、時には勢いが大事なのはよ〜くわかります。
でも、自分を行動に駆り立てるための起爆剤として「手放す」を利用するのはあまりおすすめしません。
なぜなら行動する内容が決まっていないことが多く、結局行動しなかったり、しても結果に結びつかないことがほとんどだからです。
これだと「手放したのに得るものが何もない」という残念な結果になることは容易に想像できてしまいます。
やるべき手放し方
やってはいけない手放し方をすると、取り返しのつかないことになったり結局何も得られない可能性があることがわかりました。
それなら同じ手放すしてもどういう手放し方をすればいいのでしょうか。
根拠を明確にして手放す
やるべき手放し方の1つ目は根拠を明確にして手放すです。
これは「なぜ手放すのか」という理由をはっきりさせて手放すということ。
賞味期限や有効期限のような、それ自体に期限があるものはわかりやすいでしょうし、自分で「1年間使っていない(袖を通していない)物は手放す」といったルールを決めるのもよいでしょう。
また「今の自分には必要ない(なくなった)」「生活が変わった」というような理由で、考え方や行動パターンを手放すのもOK。
いずれにしても手放す際に根拠を明確にできれば、自分自身に納得感が生まれ、後悔することはまずありません。
やれるだけのことをやってから手放す
やるべき手放し方の2つ目はやれるだけのことをやってから手放すです。
特に仕事や人間関係では自分ひとりの力でなんとかなることは少なく、うまくいかないことも多々あります(むしろうまくいかないことのほうが多い)。
そんなときに「いやだ」「しんどい」「めんどくさい」といった理由で手放してしまうと、自分自身の成長もありませんし、また同じことを繰り返してしまいかねません。
たとえ最終的な成果に結びつかなかったとしても、せめて自分のなかで「やれるだけのことはやった」と思えるまでやってから手放す。
そうすれば気持ちよく手放すことができますし、次のステップへも気持ちを切り替えて進むことができるようになります。
感謝して手放す
やるべき手放し方の3つ目は感謝して手放すです。
手に入れた物、出会った人、やったこと、考えたこと、感じたこと…。
たとえうまくいかなかったとしても、結果的に不要であったとしても、すべてのものごとは自分に何かをもたらしてくれており、一つとして無駄なものはありません。
そのことに心から感謝し、穏やかな気持ちで手放す。
ときには手を合わせたっていいでしょう(私はよくやります)。
感謝の気持ちはプラスの感情なので、手放すことに対する罪悪感のような自分を責める気持ちは湧きませんし、事実を前向きに捉えることができます。
その結果、いつまでもその場に立ち止まることなく新しい一歩を踏み出すことができるようになるのです。
【番外】飽きた、は悪くない
ここまでやってはいけない手放し方とやるべき手放し方の両方を見てきました。
でももしかしたら「あること」が気になっている方がいらっしゃるかもしれません。
それは「飽きたから手放すっていうのはどうなの?」ということ。
個人的には飽きたから手放すのは全然OKだと思っています。
そもそもなぜ飽きるのかというと、ある物ごとから学べることを学び尽くしたから飽きるわけです。
それは人によって質も量もスピードも違うもの。ある人は一瞬で飽き、ある人は人生をかけてのめりこむかもしれない。
だから自分が飽きたと思うのならどんどん手放し、次へ進めばいいのです。
常識や世間体を気にしてしがみついていられるほど、人生は長くないのですから。
最後に
手放すことによって物理的にも精神的にもスペースが生まれ、新しいものごとが入ってきやすくなるのは事実です。
だからといってなんでもかんでも手放すのは的外れ。
前に進むために、成長するために、自分らしく生きるために手放す。
何かを手放す際、意識していただければと思います。