立ち止まったら見えてきた、私の本当の気持ち。

無我夢中で走り続けているときには見えなかったけれど、ふと立ち止まったら見えてきた。

そんなものごとはたくさんあると思います。

景色や現実、人の成長、そして自分の本当の気持ちも。

病気になった意味をずっと考えていた

私は今から約2ヶ月前に糖尿病という宣告を受けました。

正直に言ってびっくりしました。今まで大きな病気をしたことがなかったというのもあるけど、まさか超痩せ型(当時162cm,41kg)の私が糖尿病になるなんて思ってもみなかったから。

だから糖尿病のことについて何も知らず、病気に関するあらゆることを調べ、できることからとにかく実践してきました。

それだけではありません。「良さそう」と思ったものには片っ端から手を出しました。

サプリメントも、民間療法も、代替医療も、果てはスピリチュアルまで。

でも、そうやって無我夢中で「治りたい、治したい」と行動しながら、ずっと考えていたことがありました。

それは病気になった意味

このタイミングで私の行く先に大ブレーキをかけるような病気になったことに、意味がないわけがないと思って。

そしてその答えのようなものがやっと見つかった気がしたとき、次のブログを書きました。

病気になったのには意味がある。糖尿病と宣告された私が2ヶ月かかってたどり着いた答え

ああ良かった。やっとこれで、一歩前に踏み出せる。

書き終えたときは本当にそう思ったし、安堵した、はずでした。

ところがその後、なぜか急に心がザワつき始め、メンタルに黄色信号が灯ってしまったのです。

私の生き方が間違っていたのではないか

私の心に浮かんだのは、次の思いでした。

もしかして、病気になったのは私の生き方そのものが間違っていたからではないのか。

私の行動や考え方、人生そのものが、間違っていたのではないか。

糖尿病って「生活習慣病」と言われるぐらいですから、自分の生活スタイルやら食事やら心の持ちようがほぼ100%なわけです。

ということは、これまでの私の生き方・考え方が間違ってたから病気になったのではないかと。

これは、絶対に思っちゃいけないことです。「自分にダメ出し」「自分全否定」はメンタルをつぶす最短距離を全速力で突っ走るようなものですから。

今の私ならわかる。でもそのときの私は、自分で自分の思考を止められなかった。

ヤバい、これはヤバい。

そう思った私は、あることを決めました。

立ち止まったらからこそ見えてきた

思考回路が負のスパイラルにハマりそうになった(じゅうぶんハマってた)私は、ある知人に洗いざらいの思いをぶちまけました。

そして決めました。「一度立ち止まろう」と。

立ち止まるのはものすごく怖かった。でもこのまま突っ走ったところで落ちていくのは目に見えていたので、一旦立ち止まろうと思ったのです。

立ち止まることを決めたとき、心の奥ではほっとしていました。

「やっと休める、ゆっくりできる」と、私の本心が言ったのかもしれません。

ただ、そのときの「立ち止まる」は、私の中では「病気の治療をしながらも続けていた仕事をストップする」という意味だったんです。

 

その夜。

改めて「立ち止まる」の意味、そして本当の私はどうしたいのかを考えました。

すると、出てきた答えはまったく違うものでした。

私は立ち止まりたかったのではなく、やめたかったんだ。

堂々巡りに考え続けること。

病気になった意味を見出すこと。

自分を責めること。

生き方に、答えを見つけること。

答えなんて誰もわからない。そしていつかきっとわかる。

それよりも今を生きよう。

私らしく、「今」を大切に生きよう!

このことに気づいたとき、まるで憑き物が落ちたかのようにスッキリとし、晴れ晴れとした気持ちになりました。

立ち止まらなければ気づかなかった。だけど立ち止まったからこそ気づいた。

立ち止まって、良かった。心からそう思いました。

立ち止まることは、悪いことじゃない

「立ち止まる」という言葉からは、何かマイナスのイメージを感じ取ってしまうことが多いかもしれません。

ある人は人生という名のレールから降りるように感じるかもしれないし、ある人は周囲に取り残されるように感じるかもしれない。

「何もしていない自分は役立たずだ」と、自分を責めてしまう人だっているかもしれない。

でも立ち止まることは決して悪いことではないと私は思います。

立ち止まることで見えてくる景色がある。気づくことがある。

「私」に、戻ることができる。

もっともっと、立ち止まっていいんじゃないかな。

その時間は、きっと無駄にはならないから・・・。