渡邊 由佳(わたなべ ゆか)のプロフィール

ご挨拶

初めまして。オフィスYUKA・代表、 渡邊 由佳(わたなべ ゆか) です。

私は 2019年3月 に 愛知県西尾市 で「オフィスYUKA」を開業しました。

本当は、社会保険労務士 として登録が可能となる 2019年秋以降 の開業を予定していたのですが、「1日も早くお客様の役に立ちたい」という思いから開業を決意した次第です。

当オフィスのモットーは「すべてはお客様のために」です。

どんな時もお客様のことを第一に考え、必要かつ最適なサービスを提供いたします。

そのために 社会保険労務士 という資格の枠にとらわれない多様なサービスをご用意し、お客様のご要望にお応えしていきます。

渡邊 由佳(わたなべ ゆか)について

ざっくり言うとこんな人

オフィスYUKA・代表、 渡邊 由佳 はざっくりいうとこんな人です。

  • 京都市上京区生まれ
  • 40年間関西暮らし(京都→兵庫→大阪)
  • 現在は愛知県西尾市在住
  • 限りなくO型に近いA型
  • どこへ行っても関西弁
  • 声がデカい
  • 態度もデカい
  • しゃべりが早い
  • なぜか目立つ
  • 超せっかち
  • 情にもろい
  • 暗黒時代のカープファン
  • 三度の飯よりビール好き
  • 座右の銘は「どうせ全部うまくいく」

ストレンスグスファインダー 5つの資質

ストレングスファインダー の上位5つはこちら。

  1. 達成欲
  2. 学習欲
  3. 共感性
  4. 未来志向
  5. 目標志向

保有資格

以下の保有資格は、すべて資格に目覚めた 2018年以降 に取りました。

  • 社会保険労務士(社労士)
  • 行政書士(未登録)
  • 簿記3級
  • ファイナンシャルプランナー2級
  • ファイナンシャルプランナー3級
  • 年金アドバイザー3級
  • 行動心理士
  • 心理カウンセラー
  • 上級心理カウンセラー

経歴

私 渡邊 由佳 の経歴です。長くなりますがお付き合いくださいませ。

生誕〜学生時代

京都市上京区生まれ

私は1976年に京都市上京区で生まれました。

「上京区」とわざわざ言う時点で「いやらしい(笑)」のですが、京都市内のなかでもいわゆる「碁盤の目」の中に住んでいました。

おかげさまで今でも正真正銘の「京都イズム」が根っこにあります。例えば…。

  • 東京なんてたかだか400年しか都ちゃうし(相手にもしてない)
  • 天皇さんはちょっと東京に遊びに行ってはるだけやし
  • 最後のいくさ?応仁の乱やろw
うわ〜、文字にするとほんまイヤな京都人(笑)。

そんな閉鎖的な街に生まれ、超封建的な家庭で、それでもすくすくと育ちました。

中学校で吹奏楽部に入部

夏休みに小学校の講堂で開催された吹奏楽部のコンサートを聴きに行った私は、その迫力と素晴らしさに魅了され「中学に行ったら絶対に吹奏楽部に入る!」と家族に宣言。

中学校に入学後は、宣言通り脇目も振らず吹奏楽部に入部しました。

本当は「サックス」をやりたかったんですが、花形楽器だけに希望者も多く、あみだくじ(!?)であえなく落選。それならいっそ誰も知らないような楽器、と思って「ファゴット(バスーン)」を選びました。

ファゴットはこんな楽器です。

ハイ、知りませんね(涙)。

とても地味な楽器ですが、私は音色にすっかりハマってしまい大好きになりました。今となっては「あのときあみだくじで外れてよかった」と心から思っています。

その中学校は、公立ながら京都市内ではなかなか伝統のある学校で(全国大会出場経験あり)、練習はとても厳しかったですが楽しい3年間でした。

部活に明け暮れた高校時代

中学3年生になり、進路を決めるにあたって私はまたまた「高校に行っても吹奏楽を続ける!」と宣言し、私立の女子高校に進学しました。

実はこのとき、先生や親に猛反対されたのです。その理由は、行きたい高校の学力が決して高いものではなかったため、中学校の成績がそこそこよかった私にはもったいない、というもの。

それでも私は「吹奏楽をやる」の一点張りで押し切りました。

一度決めたら絶対に譲らないのは、子供の頃から今でも変わりません(笑)。

結果的にその高校にはトップで合格し、以後3年間(ほぼ毎日部活をしながら)一度もトップの座を譲らなかったのは密かに自慢です。

その高校は、吹奏楽というよりは「マーチング(体形を変えながら演奏するもの)」がとても強く、常に全国大会に出場するような高校でした。

今ではテレビでも取り上げられている、オレンジのユニフォームの高校です(バレるがな)。

マーチングとはこういうもの。

部活はめちゃくちゃキツかったです、ほんとに。朝から晩まで部活、休みもほとんどなし、理不尽なことも数えきれず。

それでも、この3年間が今の私を支えてくれていることは間違いなく(今でもよく夢でうなされますが)、3年生の時にドラムメジャーとして出場した全国大会で最優秀賞を受賞したのが何よりの思い出です。

モラトリアムな大学時代前半

大学は、兵庫県にある関西学院大学法学部法律学科(関学)に入学しました。

本当は現役時代にも合格していたのですが、高校の先生に「もっと上を目指せ!」と言われて他の大学を受けるために一浪。

でも、結局学力も足らなかったし、そもそも行きたくなかったので案の定落ちました。

関学を受けた理由は単純です。

  • 吹奏楽部が強い
  • 一人暮らしができる
この2つだけでした。

一人暮らしは親から猛反対されましたがこれまた押し切り(笑)、早速吹奏楽部に入部したのですが…。

「あれ?なんか違う…」

そうなのです。一浪して「普通の高校生」とたくさん知り合ったためか、「部活にのめり込む生活」に違和感を感じるようになってしまっていたのです。

そのため吹奏楽部は半年で退部。ここからモラトリアムな大学生活が始まります。

ぶっちゃけあまり記憶がありません(笑)。

アルバイトから正社員へ

転機が訪れたのは3回生に上がったとき。

必修科目を取り切って大学に行く必要がなくなった(アカン)私は、近くにオープンするという焼き鳥屋のアルバイト募集広告に何気なく応募しました。

このアルバイトが私の人生を大きく変えることになったのです。

「焼き鳥屋のバイト」と聞くと様々なイメージを持たれるかもしれませんが、その焼き鳥屋は「お客様のために」という意識がものすごく強いお店でした。

また、「やりたい」と言ったことはどんどんやらせてもらえましたし、責任あるポジションも次々まかせてもらえました。もちろんお金も働いた分だけ稼げます。

私はどっぷりハマりました。めちゃくちゃ楽しくて、またやりがいもものすごくあり「ここでずっと働きたい」と思った私は、就職活動を一切せず卒業と同時に正社員として焼き鳥屋に入社したのです。

社会人〜現在まで

焼き鳥屋での日々

焼き鳥屋での仕事はもう本当に楽しかったです。

1日として同じ営業はなく、常に真剣勝負。毎日のように怒られながらの仕事でしたが、お客様の笑顔と「ありがとう」が嬉しくて、私はがむしゃらに働きました。

おかげさまで25才のときに店長にも昇格。さらに2店舗を任されるというジャンプアップだったのですが、この頃から少しずつ歯車が狂い始めます。

私は接客が大好きで、「お客様のために何ができるか」を毎日試行錯誤していました。

ところが、店長になると「お店全体のマネジメント」が必要になります。

売り上げのこと、スタッフのこと、様々な管理…。当時の私は何一つできませんでした。そのくせ「店長」という肩書きに酔い、同じぐらい怯えていました。

結果的に半年で店長から降格。さらに様々なストレスから心も体も壊してしまいました。

社長には「やめたいです」と辞意を申し出たのですが、「とりあえず休め」と言ってくださったことには今でも感謝しています。

休職から3ヶ月後に、現場ではなく事務職として復職させていただいたものの、やはり一度壊れた心身はそう簡単には戻らず、結局1年半ほど後に退職をさせていただきました。

焼き鳥屋での日々のことは、今でもしょっちゅう夢で見ます。

辛いことも多かったですが、嬉しいことや楽しいことも多く、何より「お客様のために」という仕事の姿勢が骨の髄まで叩き込まれたことが、今の私にとって一番の財産になっています。

職を転々と

焼き鳥屋を退職した私ですが、他にやりたかったことがあるわけではありません。とはいえ、生きて行くためには働かなければならず、ありとあらゆる仕事をしました。

「転職を繰り返す」というのはあまり聞こえがいいものではないかもしれませんが、実は振り返ってみると「そのすべてが社労士の仕事につながっていた!」と驚きます。

その一部がこちら。

  • 全国健康保険協会(協会けんぽ)での事務→健康保険
  • 労働局での助成金業務→雇用保険
  • 某生命保険会社での営業→年金の知識
  • 建築関係の会社での事務→労働安全衛生法
これ、普通なかなかないです。

労働安全衛生法の「安全衛生管理体制」なんて受験生の多くが苦手とするところですが、当然のように業務で書類を作っていました(もちろん得意科目でした)。

「人生に無駄なものは何もない」とはよく言いますが、まさに私の人生がそうだと今だからこそ思います。

社労士を目指して

「社労士になりたい」と最初に思ったのは2015(平成27年)、まだ関西に住んでいた頃です。

ただ、その時は「なんとなく」に近く、社労士としてのビジョンもなにもなかったので当然ながら不合格。

とはいえ、伝説の「合格率2.6%」の年だったものの総得点はクリアしており、選択式の「労働一般常識」だけが合格点に届かなかったという惜しい不合格でした。

その後は社労士試験をすっぱり諦め、建設業の小さな会社に勤めていたのですが、2016(平成28年)夏に主人のお父様が倒れられました。

一命はとりとめたものの、主人は「できる限り父親のそばにいたい」と。

反対する理由もありませんでしたから、2017年(平成29年)が明けるとすぐ、主人の実家がある愛知県西尾市に引っ越しました。

空気も美味しく、食材も新鮮ないい土地です。

でも私にとっては見知らぬ土地、知り合いも一人もいません。

初めこそ地元の集まりのようなものに顔を出そうと試みたりもしましたが、大都会で40年暮らしてきた私1時間に4本しか電車の来ない街で生まれ育った人たちとではテンポが合うはずもありません。

決して田舎を否定しているわけではなく、仕方がないことです。

そして私はいつしか家に引きこもりがちになり、話し相手も主人だけという生活がしばらく続きました。

このままじゃいけないと思いました。何かを変えなければいけないと思いました。

そんなときに「もう一度社労士試験を受けてみよう」と思ったのです。

前回はなんとなく受けた試験でしたが、今回は必死でした。とにかくがむしゃらに勉強し、また「社労士の資格だけでは足らないだろう」と多くの資格試験を受けました。

そのかいあって社労士試験には無事合格。2019年秋に社労士登録の予定です。

これからのこと

勉強しているときから「独立開業」しか頭にありませんでした。

残念ながら今の街には私のやりたい仕事はありませんし、都会(名古屋)に出るにも1時間以上かかります。ライフ・ワーク・バランスを考えれば当然の帰結です。

ただ、それだけが理由ではありません。

私は社会保険労務士としてだけの業務をこなしていきたいわけではなく、もっともっと広く仕事をしていきたいと思っています。

だから、事務所名もわかりやすい「◯◯社会保険労務士事務所」ではなく「オフィスYUKA」と名付けました。

自分のやりたいことに邁進し、柔軟にベクトルを変えていくために、独立開業という道を選択しています。

今はまだ得意分野があるわけでもありませんし、経験はゼロ、知識もまだまだ足りません。

でも、誰にも負けない熱意があります。「お客様のために」という信念があります。

その思いを胸に、これから日々邁進していく所存です。

長文をお読みいただきありがとうございました。

このプロフィールが、私のイメージ作りに役立てば嬉しいです。