こんにちは、ゆかねぇ (@officeyuka) です。
病気や怪我って「ハイそうですか」と簡単に受け入れられるものではありません。ましてやそれが命に関わるものだったり、一生付き合っていかなければならないものであればなおさらです。
まさに私もその一人。
「なぜ私が」「でも自分のせい」「わかってはいるけれど」…。
病気を受け入れられない、受け入れたくない、でも受け入れられなきゃいけない。
そんな葛藤を毎日繰り返し、もがき続け、それでも受け入れるために「私が病気になった意味」を見出そうとずっと自分と向き合ってきました。
まだ病気を 100% 受け入れられたわけではありません。だけど、ここに書き残すことで前に進める気がするのです。
だから書きます。私がもがき続けた日々、そしてたどり着いた「病気になった意味」の答えを。
糖尿病と宣告された日
忘れもしない 2021年3月29日、私は糖尿病と宣告を受けました。
数ヶ月前から体調不良が続き、何度か病院に足を運んでいたものの、お医者さんから糖尿病と言われた瞬間の私の脳内は
「なんで私が?糖尿病?なんで!!!」
という「?」と「!」がこぞってちゃぶ台ひっくり返したような大騒ぎ。
だって私、糖尿病=メタボな中年サラリーマンがなるものって思い込んでたもの(メタボな中年サラリーマンの皆様ごめんなさい)。
それに引きかえ、当時の私は身長162cm体重41kg 。「スリム」と言えば聞こえはいいけれど単なるガリガリの超痩せ型体型だったからです。
そら「なんで」って思うで(笑)。
だから調べました。「糖尿病」「痩せ型」「女性」あたりでググりまくりました。
そしたら近頃、若くて痩せた女性の糖尿病が増えているということがわかって。
そうか、そうなのか。
私は決して若くはないけど、痩せ型でも糖尿病になることは大いにあるのか。
こうして私は糖尿病という現実を突きつけられ、向き合っていくことになったのです。
受け入れ難い現実の数々
ただでさえ大きな病気をしたことがなく、ましてや「痩せ型の自分だけはならない」と思い込んでいた糖尿病。まったくの無知です。
そのため、糖尿病に関する知識を一から集める必要がありました。
病気そのもののこと、数値の見方。
治療法、食事のとり方、効果的な運動。
そもそも治るのか、放っておいたらどうなるのか、などなど。
いやもう調べた。めっちゃ調べた。仕事そっちのけで調べた(笑)。
こんなふうに糖尿病について片っ端から調べまくった結果、私は受け入れ難い現実の数々に打ちのめされることになったのです。
まず、糖尿病に「完治」という概念はないということ。
もちろん数値や症状が良くなることはあるのですが、「やったー!」とばかりに以前の食事(不規則だったり偏ったり)に戻してしまうと水の泡。
つまり、一度糖尿病になってしまうと事実上一生付き合っていかなければならないのです。この絶望感たるや。
次に、食事の制限がとても多いこと。
決して「食べてはいけないもの」があるわけではないのです。が、実質「食べない方がよいもの」はめちゃくちゃたくさんあります。
その多くは嗜好品。お菓子やお酒は際たるもの。
加えて普通の食材でも食べ過ぎはよくない。偏った食事もよくない。食べる順番にも気をつけなきゃいけない。そのくせ食べないのもよくない。
あかんことばっかりやないか!っていう話です。
結果的に私の場合は食生活を一から作り直す必要がありました。道のりの長さにまたしても絶望。
最後に私をもっとも打ちのめしたのは、糖尿病の原因はひとえにこれまでの生活習慣によるものだということ(2型の場合)。
なにせ「生活習慣病」と言われるぐらいですから当然と言えば当然とはいえ、食生活の乱れやストレスといったあらゆる生活習慣が糖尿病の原因だったのです。
このことがなぜ私を打ちのめしたかというと…。
糖尿病になったのは 100% 自業自得だという事実を否が応にも突きつけられたから。
誰も責められない。
泣いてもわめいても全部自分のせい。
怒りのやり場も、悲しみの吐け口も、ない。
だからどうにかして、糖尿病という病気を自分の頭で理解し、自分の心で納得し、自分の中に受け入れなければならなかったのです。
病気を受け入れられずもがく日々
一生付き合っていかなければならないうえに制限も多い、しかも誰にも思いをぶつけることができず、なんとかして受け入れるしかない。
頭ではわかっていても、病気と病気にまつわるあらゆる現実を受け入れることは、私にとってそう簡単なことではありませんでした。
日によっては「今病気がわかって良かった。手遅れになる前で良かった。」と思い、感謝したこともあります。
「食生活をきちんとするきっかけをもらえたんだからありがたい」と手を合わせたこともあります。
「今まで知らなかった知識を学んでいくのも、それを色々試していくのも楽しい」とワクワクしたことだってなくはないです。
だけど、心の中ではちっとも楽しくなかった。ずっと苦しかった。とても辛かった。
できることなら何かに当たり散らして、私以外の何かのせいにして、「バカヤロー!!!」って大声で泣きわめきたかった。
それなのに「お利口な、病気を受けれている『ちゃんとした』自分」でいようとしたせいで、心が、感情が動かなくなって泣くことすらできませんでした。
逃げようともしたこともありました。
民間療法を自分でできるようになるセミナーに参加したり。
藁にもすがる思いで本を読み漁り、スピリチュアルな世界に救いを求めようとしたり。
「いっそのこと何も食べなければいいんじゃないか」と、不食の世界に興味を持ったり。
すべて放り投げて、今まで通りの生活をして、「それで死ぬなら本望だ」と自暴自棄にさえなったことさえも。
とこんなふうに、毎日毎日病気と向き合えば向き合うほど、気持ちは振り子どころかジェットコースターのように乱高下していました。
そしてそんな自分の心の内を悟られたくなくて言葉数も減り、いつのまにか笑うことさえなくなってしまったのです。
2ヶ月かかってたどり着いた答え
暗闇の中を灯りも持たずに歩いているようにしか思えなかった2ヶ月間。
前に進めず、同じ場所から一歩も抜け出せていないように感じていた2ヶ月間。
だけど私は、たった一つだけ確信していたことがありました。
それは「私が今、このタイミングで病気になったことには必ず意味がある」ということ。
最初はどんな意味かはわかっていませんでした。
ただ単に私を戒めるためかもしれないし、罰するためかもしれないとも思いました。
「痩せ型女性も糖尿病になる」ということを、経験を通して伝えていくためかとも考えました。
そんなレベルではなく、何かの大きな力に動かされているのかもしれないとも感じました。
いずれにしても私は「意味がなければ病気になんてなるわけがない。そしていつか必ず答えのわかる日が来る」という確信だけを心の支えにして日々を過ごしていたんです。
決して大袈裟な表現ではなく、本当に心の中にあるたった一つの希望の灯りでした。もしこの思いがなければとっくの昔にメンタル面がおかしくなっていたはずです。
そして糖尿病と宣告されてから2ヶ月。
糖尿病という病気を100%受け入れることは、まだできていません。もしかしたら一生無理かもしれない。
だけど、たどり着いた答えがあります。
私は「自分らしく生きる」を応援し、私自身も「自分らしく生きる」ことを目指しながら、まだまだ自分らしく生きられていなかったんだ。
心のどこかで失敗を恐れたり、すべてをさらけ出すことに恥ずかしさを感じていたり、自分の身を守ろうとしていたんだ。
だから病気になった。「死」に至る可能性だってある病気に、今なった。
時間は有限なのだ。命には終わりがあるのだ。
逃げちゃだめだ。
自分から、人生から、使命から、絶対に逃げちゃだめだ。
自分らしく、生き抜かないと。
なにがあっても「自分らしく生きる」ことだけは貫かないと。
私が病気になったのは自分らしく生きていない私への警告だったのだと今の私は思っています。
自分らしく生きていない、閉じ込められた「本当の私」の叫びが、痛みや苦しみでもって襲いかかってきたのだと。
そして命には限りがあるからこそ、どんなときも全力で自分らしく生きなければいけないよ、と教えてくれたのだとも。
私が「自分らしく生きられている状態」というのは、脇目も振らずただまっすぐに前と上だけを見て全力疾走している状態です。
・・・ラクじゃないんです。どちらかというとしんどい(笑)。
それでも私は走らなきゃいけないし走りたい。なぜならそんな私を見て希望を見出し、一歩を踏み出せる人がいるから。
たった一人でもそんな人がいる限り、しんどいからと言って手を抜くんじゃない!
今回の病気はそう教えてくれたのだと思います。
【最後に】聖者になんてなれないけれど
聖者になんてなれないよ
だけど生きてる方がいい
ザ・ブルーハーツは名曲「TRAIN-TRAIN」でこう歌っています。
私だって聖者にも聖人君子にもなれないし、きっとこれからもずっと弱音吐いたり泣き言並べたりしているはずです。
だけど。
自分らしく生きることだけは守りたい。
私の身体が、文字通り身体を張って教えてくれた「自分らしく生きる」を貫きたい。
そして、私の思いのすべてを伝えていきたい。
病気のことしか考えられなかった2ヶ月間を乗り越え、やっと少しだけ「病気になって良かった」と思えるようになりました。
でもまだ病気は始まったばかり。
これから少しづつ、私らしく生きながら病気を受け入れていこうと思います。