こんにちは、ゆかねぇ (@officeyuka) です。
『私』至上主義。
随分とまぁ偉そうな、態度のデカいフレーズだこと(笑)。
でも私は決めたんです。
これからは 『私』至上主義 で生きていくって。
『私』至上主義 ってどういう意味?
「『私』至上主義」はもちろん造語です。
「至上主義」自体には「◯◯を第一とする、◯◯を最上のものとする立場」みたいな意味があるようですが、 私が込めた意味合いは次のようなもの。
私自身を一番大切にし、何より慈しむ。
私自身が考えていること、感じていること、「心の声」を最優先する。
私自身の心にフタをせず、私に嘘をつかずに生きる。
「私はどうしたいのか」を常に私自身に問いかけ、行動する。
自分で自分を大切にする、というのは当然の話。
そこからもう一歩踏み込んで、自分の「考え」や「心」といった「目に見えないもの」に正直になり、我慢したり自分に嘘をついたりしないこと。
そして、ふと感じた「感覚」を大切にし、むしろその感覚に従って行動すること。
つまり「自分を信じ、何より自分の『心』を信じて生きる」のが 『私』至上主義 という生き方だと私は位置づけています。
あえて「自分」ではなく「私」にしたワケ
『私』至上主義 というフレーズを耳にして、「なんで『自分』じゃなくて『私』なんだろ?」と思ったかもしれません。
だいたい「私、私」って連呼されると「なんや、このかまってちゃん(笑)」って思うでしょうし。
それでも私が「自分」でなく「私」にしたのには、ちゃんと理由があります。
とことん自分ごととして捉えたかったんです。
「自分」という言葉は一人称で使うこともあるけど、どこか少し「自分のことなのに他人ごとのように眺めてる」感覚が私にはあります。
そもそも関西では「自分=あなた(二人称)」で使ったりもするし。
そうじゃないねん。
「私のこと」やねん。もっと「私」にフォーカスして、「私ごと」で考えたいねん!
そんな思いがあって、あえて『自分』ではなく 『私』至上主義 と命名しました。
なぜ 『私』至上主義 で生きようと決めたのか
私が「これからは 『私』至上主義 で生きよう」と決めたのは昨年暮れのこと。
ちょうど風の時代が幕を開けた時期でした。
ではなぜ 『私』至上主義 で生きようと決めたのか?というと答えは簡単。
今までずっと、私の心の声が聴こえないフリをして逃げていたから。
そして、もうそんな生き方はやめにしたい、これからは心の声「だけ」に従って生きていきたい、と強く思ったから。
私はずっと、周りの目ばかり気にして、他人の評価に踊らされて、常識でがんじがらめになって、自分らしく生きられていなかったんです。
「こんなことをしたらどう思われるだろう」「こんな生き方は変じゃないかな」って。
「他人から見た私」ばかり気にしていたから自分の心の声なんか聞こえなかったし、時折ザワついても聞こえないふりをして押さえ込んでいました。
でも本当は、そんな生き方はただの「逃げ」だととっくに気づいていたんです。
人と違う生き方をすること。自分の心の声に従った生き方をすること。
それは決して楽な生き方ではなく、時に叩かれ、時に邪魔をされる生き方です。長い物に巻かれてたほうがよほど楽だし。
だから逃げてた。自分の心の声から。「自分らしく生きたい」という心の叫びから。
でももう、逃げるのはやめにしました。
たとえ誰がなんと言おうとも、誰かが足を引っ張られても、誰かに傷つけられても、私は私を貫く。
私の心を大切にし、心を守り、心を、解き放つ。
それがきっと、私のためだけでなく「誰か」の光になるはずだから。
こう思えたとき、私の心に 『私』至上主義 という言葉が降りてきました。
これだ、この生き方だ!
それ以来、もう迷うことも逃げることもなくなったんです。
それって「ジコチュー」じゃないの?
とはいうものの、やっぱり気になるといえば気になりますよね。
『私』至上主義 って聞こえはいいけどただのジコチュー(自己中心的)なだけじゃないの?って。
私は決してジコチューだとは思いません。
自己中心的な生き方とは「自分だけ良ければそれでいい」というものであり、「他人に何かをしてほしい」という受け身なもの。
それに対して『私』至上主義 な生き方とは、あくまでも自分を信じ、自分の心の声に従って行動する能動的な生き方。
ベクトルが真逆だということ、わかっていただけるでしょうか。
だからこそ堂々と 『私』至上主義 を貫いていいんです!
みんな! 『私』至上主義 で生きようよ!
『私』至上主義 という生き方、私はこれからどんどん実践し、伝えていきたいと思っています。
だって怖いやん?誰かが先にやってくれないと(笑)。
そしていつか、『私』至上主義 な人たちでいっぱいになるように力を尽くしたいとも思っています。
一人でも多くの人が自分らしく、 『私』至上主義 で生きられるように。
これからも私は、走り続けます。