イチロー選手の引退会見に思う「自分のものさしで考え、自分の言葉で語る」ということ

こんにちは、 渡邊 由佳 ( @officeyuka )  です。

日本のプロ野球選手でもあり、メジャーリーガーでもあったイチロー選手。

野球ファンでなくても、日本人なら「イチロー選手を知らない」という方を探すほうが難しいかもしれません。

そのイチロー選手が 2019年3月 に引退したときの引退会見を改めて見て、思うところが多くありました。

思わず見入ってしまった引退会見

私はテレビが嫌いなので、我が家にはテレビがありません。

また、ネットのニュースも基本的には見ないので、イチロー選手の引退は主人から聞きました。

突然のことながら私、小さな頃から野球が好きでして(小学生の頃にスコアブックをつけられるぐらいに好きだった)。

最近はめっきり野球そのものを見なくなってはいたものの、一野球ファンとして「ひとつの時代が終わるなー、淋しいなー」ぐらいは思っていました。

そして、引退を発表した日の夜に行われた記者会見の内容も、テキスト(文字)ではかいつまんで読んでいたんですよね。

ただ、会見そのものの映像は今までまったく目にすることがありませんでした。

再生の手を止められなかった

イチロー選手の引退から数ヶ月。なぜ今頃になって私が引退会見の動画を観ることになったのか。

正直に言うと「たまたま」です。

仕事中に「たまたま」イチロー選手の引退会見動画がヒットし、なぜか気になって「ちょっとだけ観ようかな」と再生ボタンを押したのですが…。

気がつくと、約1時間半の引退会見を最後まで観てしまっていました。


いや、最初のうちは「アカン、仕事中やで」と思ってたんです、ほんとに。

でも会見が進んでいくにつれ、「イチロー選手の言っていることは今の自分に必要なことばかりだ!」と思うようになり、必死にメモを取りながら見終えました。

自分のものさしで考え、自分の言葉で語るということ

イチロー選手の引退会見で出てきた数々の名言については、ここでは触れません。

私が引退会見を観ながらずっと考えていたことは、「自分のものさしで考え、自分の言葉で語るということの難しさと大切さ」でした。

会見ではいたるところで「なぜこの人はこんなにもブレない『自分のものさし』を持っているんだろう」と思わされることばかり。

そして、その語る言葉は借り物ではない「イチロー選手自身の言葉」。

イチロー語録」とまで言われるのも納得しました。

 

ブレない自分軸を持ち、独特の表現を使いこなすのはイチロー選手ならではかもしれません。

それでも「自分のものさしで考え、自分の言葉で語る」のはそんなに簡単なことではないはずです。

少なくとも私は、物事を判断するときにはやっぱり「常識」にとらわれたり「他人の評価」が気になります。

「自分のものさしで判断しよう」と思っても、どこかで「他人の目から見てどうか」を考えてしまいます。

自分の言葉だってそうです。

いやしくもブログという媒体を使い、言葉で自分を表現しようと試みているものの、「それは本当に自分の言葉なのか?」と聞かれたら口をモゴモゴさせてしまいます。

 

でも結局、「自分のものさしで考え、自分の言葉で語る」ことをしないかぎり、他者との違いは生まれないんですよね。

反対に言うと、「自分のものさしで考え、自分の言葉で語る」なら、時には他者から批判されたりバッシングを受ける覚悟も必要だということ。

まだ私は怖いです、本当は。

いくら他人から(いや、身内もだ)「変わってる」と言われる私ですら、「自分の考えを自分の言葉で語り、貫く」のはものすごく怖いです。

そして、それと同じくらい「このままではいつまで経っても私は今のレベルから抜け出せない」という危機感もあります。

 

じゃあどうする?(答えはとっくに出てるだろ?)

 

こう、イチロー選手は投げかけてくれたのかもしれません。

まとめ

ひとりで仕事をしている以上、「他の人と同じ」は「存在しない」と同義だと私は思っています。

だからこそ、他者との違いは必要だし、そのためには「自分」がなければならないとも。

「その他大勢」で終わってしまうのか、「出すぎた杭は打たれない」になるのか。

その境界が「自分のものさしで考え、自分の言葉で語ることができるかどうか」なのだろう。

イチロー選手の引退会見を観終えた今、そう感じています。